ニドムクラシックコースの歴史



1990年〜1992年 PGAシニアツアー「サム・スニードカップ」開催
2001年〜2003年 PGAツアー「日本プロゴルフマッチプレー選手権」開催
”ゴルフの神様”サム・スニードを讃えるとともに、その卓越したゴルフ理念を末永く継承することを目的に開催され、大会には出場しないものの、トーナメントホストとして精力的な活動をみせてくれるサム・スニードの勇姿をニドムクラシックコースで披露してくれました。’92年の大会では、世界各国のレギュラーツアーで多くの勝率を挙げ、その紳士的な物腰とマナー重視の品格からどこへ行ってもゴルフのイメージアップをもたらすことで”ゴルフ国際大使”の尊称を持ち、また、黒ずくめの独特のコスチュームで栄冠に向けてひた走ることから”南アフリカの黒豹”、”ブラックナイト”の異名を持つ天才的ゴルファー、ゲーリー・プレーヤーの参戦により、ニドムクラシックコースでも新たなドラマが生まれ、彼の数々の実績に裏付けされた華麗なコース攻略ぶりは多くのアマチュアゴルファーの参考になるとともに、ファンの目を魅了した。2001年には、ニスパコースで定着していたPGAツアー「日本プロゴルフマッチプレー選手権」をイコロコースにて開催。

1994年〜2000年 PGAツアー「日本プロゴルフマッチプレー選手権」開催
1993年6月3日、新ニスパコースが誕生となり、ニドムクラシックコースが45ホールズとして運営開始となりました。同年8月下旬には、NECスーパーゴルフの収録のため岡本綾子プロ・各界の有名人の方々が来場されました。
9月中旬にテレビ放映により新しい新ニスパコースが全国に紹介されました。
その話題性からか、1994年〜2000年「PGAツアー日本プロゴルフマッチプレー選手権」の開催となりました。


ニドムクラシックコース 『 日本プロゴルフマッチプレー選手権 』 の歩み
日本プロゴルフマッチプレー選手権は、第20回記念大会よりニドムクラシックコースにて開催となり、2003年まで10年間熱い死闘が繰り広げられた。
ゴルファーの技術・精神力が強いウェイトをしめるマッチプレーは、まさにゴルフの原点にふさわしい。

 1994年(9月1日〜9月4日):ニスパコース
 決勝:トッド・ハミルトン 対 白浜 育男
白浜は長男浩高君がキャディを務め初優勝をねらう。しかし、終始完璧なゴルフでハミルトン圧勝。
3位決定戦では、日大で先輩の川岸が丸山(茂)を、19ホール目1アップで下し、意地を見せた。

 1995年(8月31日〜9月3日):ニスパコース
 決勝:友利 勝良 対 丸山 茂樹
歌手高橋真梨子さんの夫、ヘンリー広瀬さんがキャディを務めた友利勝良が完勝で初の”日本”タイトル獲得。
3位決定戦は白熱した一進一退の好ゲームが展開され、加瀬秀樹が1アップで鈴木亨を下した。

 1996年(8月29日〜9月1日):ニスパコース
 決勝:芹沢 信雄 対 ブラント・ジョーブ
準決勝で40H(8時間)の死闘をものにした芹沢は、雨中の決勝戦”曲げないショット”と”高いレベルのショートゲーム”を武器にマッチプレーを制した。
3位決定戦では、前日の”公約”どおり丸山(茂)が佐々木を3−2で下して3位。ここ3年間の成績が4位、2位、3位の丸山(茂)優勝も近いことを予感させる。

 1997年(9月4日〜9月7日):ニスパコース
 決勝:丸山 茂樹 対 ピーター・テラベイネン
前年に続いて、またしても雨で迎えた決勝戦、日本プロのタイトルを持つ丸山(茂)と日本オープンの覇者テラベイネンの実力者二人が、意地とプライドを賭けて雨中の死闘を繰り広げた。一度はテラベイネンに逆転を許しながらも再度逆転という劇的な勝ち方を見せて念願のマッチプレーを初制覇した。丸山(茂)は、日本プロと合わせてこの年二つ目の「日本」タイトルを手にした。
3位決定戦では、桑原(将)が7−6の大差で尾崎(健)を破り、初出場ながら3位に入る健闘を見せる。

 1998年(9月3日〜9月6日):ニスパコース
 決勝:桑原 克典 対 横田 真一
「横田ー桑原」というフレッシュな対決となった決勝戦。
相手のアップダウンに惑わされず自らのプレーを守り通し、勝利を言い聞かせながらも淡々とラウンドを消化した桑原(克)が、エキストラ2ホール目で横田を下し、初のマッチ王者の座に就いた。
3位決定戦は、初出場ながら準決勝にまでコマを進める健闘を見せたZ・モウが、準決勝で力を使い果たしたという丸山(茂)を3−2で下した。

 1999年(9月2日〜9月5日):ニスパコース
 決勝:小山内 護 対 谷口 徹
大方の予想を覆し、「マッチプレーは生まれて初めて」という小山内が谷口を4−3で破り、昨年のサントリーオープン以来のツアー2勝目を勢いでもぎとってしまった。
3位決定戦も大熱戦。日本タイ記録となる24ホールの勝負となり、D・イシイが渡辺を下した。

 2000年(8月31日〜9月3日):ニスパコース
 決勝:横尾 要 対 谷口 徹
前年も決勝へ進みながら惜しくも破れた谷口の執念は凄かった。強風に苦しみ前半18ホールで4ダウンをきっするが、後半に入って猛反撃。 通算26ホール目でついに逆転する。しかし日大時代からマッチプレーの経験が豊富で今大会も接戦をものにしてきた横尾におごりはなかった。
「8ホールで5ダウンしたから、これから8ホールで逆に5アップしよう。」 続く27ホール目ですぐに追いつき、37ホール目で2アップ。 そのまま逃げ切った横尾が、約1年ぶりの勝利を手中にした。
 2001年(8月30日〜9月2日):イコロコース
 決勝:ディーン・ウィルソン 対 林 根基
マッチプレー最終日、35ホールの死闘の末、2アップでディーン・ウィルソンが林根基を下し、日本プロに続いて公式戦勝利を決めた。
「ずっと一定の調子でプレーできたことが、優勝につながったと思う。ただ、前半には2アップを奪われていたので、18ホールのみだったら、今ごろ沈み込んでいただろうね」とウィルソンは語っている。
3位決定戦は、藤田が3−1でF・ミノザを下した。
 
 2002年(9月5日〜9月8日):イコロコース
 決勝:佐藤 信人 対 近藤 智弘
マッチプレー最終日、不得意分野という佐藤信人VS最年少優勝を狙う近藤智弘の決勝となった。
前半の17番ホールでは、お互いに1アップ以上を譲らずイーブンであった。だが、18ホール目から21ホール目までを佐藤が4連取し、さらに23ホール目も取り、一気に5アプの差をつけ、36ホールマッチという長丁場で、佐藤は5−4で近藤を下した。
3位決定戦では、片山が19ホール1アップで宮瀬を下した。
 2003年(9月4日〜9月7日):イコロコース
 決勝:トッド・ハミルトン 対 デービッド・スメイル
2年ぶり2度目となった外国勢同士による決勝戦は、前半からリードを重ね終始安定したプレーを展開したT・ハミルトン(米国)がD・スメイル(ニュージーランド)を3−2で破り、94年以来となる2度目のマッチプレー優勝を果たした。 ハミルトンは今季4勝目(通算11勝目)を飾ると共に優勝賞金3,000万円を獲得し、史上2位のスピードとなる11試合目で1億円獲得の大台を越えた。
尚、3位決定戦は18ホールにて行なわれ、エキストラホール4ホール目、通算22ホール目に平塚哲二がバーディを奪い宮瀬博文を下した。



PGAツアー日本プロゴルフマッチプレー選手権優勝者(★ニドムクラシックコース)
1975年度  村上 隆       1990年度  尾崎 直道
1976年度  吉川 一雄       1991年度  東 聡
1977年度  橘田 規       1992年度  中島 常幸
1978年度  青木 功       1993年度  山本 喜隆
1979年度  青木 功       1994年度  トッド・ハミルトン
1980年度  安田 春雄     ★ 1995年度  友利 勝良
1981年度  青木 功     ★ 1996年度  芹沢 信雄
1982年度  青木 功     ★ 1997年度  丸山 茂樹
1983年度  中島 常幸     ★ 1998年度  桑原 克典
1984年度  中村 通     ★ 1999年度  小山内 護
1985年度  高橋 勝成     ★ 2000年度  横尾 要
1986年度  中島 常幸     ★ 2001年度  ディーン・ウィルソン
1987年度  高橋 勝成     ★ 2002年度  佐藤 信人
1988年度  デビッド・イシイ     ★ 2003年度  トッド・ハミルトン
1989年度  尾崎 将司